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社長のひとりごと

社長のひとりごと

週末散歩の効用。

愛犬の週末散歩は、できるだけ車通りのない自然の中を歩きたいと思っているので、
犬を車に乗せてとある大きな公園まで移動して、その周辺を散歩しています。
週末の公園には、私と同じく犬の散歩をしている方、健康作りで歩いているのであろうご年配の方など
色々な人が集って、ちょっとした触れ合いもあります。

道ですれ違うときの「おはようございます」の挨拶。
普段街中で見知らぬ人とすれ違うときに、いちいち挨拶する人はいないのですが、週末の公園あたりでは案外自然に出てきます。
見知らぬ人であっても、「公園の清々しさを味わいにきた仲間」みたいな感覚なのかもしれません。
だまってすれ違う人の方が少ない気がします。
そして、挨拶だけでなく話かけてくる方も結構います。

「これはダックスフンドですか?え違う?コーギーっていう犬なんだ、それは知らなかったなー。」
「この子はいくつなの?うちの犬は先月癌で亡くなってね…」など。

お互いどんな素性でどんな立場の人なのか全然知らないから、ありのまま「素」の人間としてだけの触れ合い。

自治会の人だったり、子どもの学校の父兄同士だったり、仕事絡みのお付き合いだったりすると、
お互い余計な気を遣うこともあるかもしれませんが、この、行きずりの出会いにおいては、お互い「ありのままの自分」です。 
もう来週は会わないかもしれない人との優しいやりとりに、私は案外癒されているのです。
2020年6月9日

コロナ禍 お見舞い申し上げます。

皆様コロナによる仕事上の悩みが尽きない中かと思います。
頑張って売上を上げようにも、感染拡大防止を考えながらの状況なので色々と難しいですね。
当社も同様ですが、この難局を乗り越えられるよう頑張りましょう!
当社でできる応援は是非させてください!

ちょうど決算期ですので、大企業においても営業利益の大幅減!赤字!というニュースがたくさん飛び込んできますが、大企業のように体力のない中・小企業となるとより切実です。
どちらも生き残りに必死なのではないかと思います。

では働く人の立場はどうでしょうか。
中・小企業において、会社の経営が大変になり雇用を見直さざるを得ない状況になると、「本当に必要な人」と「別にいなくてもいい人」の選別が始まります。
仕事量が減ったり、やってもらう仕事の内容が変わったりすると、「仕事ができない人」「やる気の薄い人」が浮き彫りになります。
これまでは日常の担当業務に埋もれてそれほど目立たなかった、「仕事ができない人」「やる気の薄い人」が急に目立ち始めます。

自分が会社にとって価値のある人間なのか、自分には何かできるのか、自分は会社に利益をもたらす事ができるのか、、、
逃げられない時代に突入しました。
コロナ後、厳しいけれどにこれが本来なのかとも思います。
2020年5月12日

時間がないのか スタートが遅いだけなのか。

当社では最近ある検定試験を、私を含む全社員で受験したのですが、
試験前後多くの人が「いやー忙しくて勉強時間がぜんぜんとれませんでした!」と言いました。

確かに聞きなれない言葉や覚えることも多く、簡単な試験ではありませんでした。
でも、オンラインでの受講は2ヵ月前からスタートできる状況でしたので、
仮にその時点からすぐさま学習をスタートしていたらどうだったのか?
毎日わずか30分でも積み重ねていたらどうだったのか?
また、2ヵ月で8回程あった週末のうち、全ての週末を本当に勉強にあてられなかったのか?
そう考えると答えはNOだと思います。 

「時間がなかった」のではなく「ギリギリまで腰があがらなったから、時間がなかった」が正解。
ギリギリになってやろうとすれば当然、家庭のことなど色々ある中で勉強時間を確保するのは難しくなる訳です。
「時間がない=状況のせい」と捉えるか
「時間を作らなかった=自分のせい」と捉えるか。
これがとても大切です。

自分に甘く解釈すれば許されること、言い訳が通用することは、公私でたくさんありますが、
それは一時的な逃げにしかならず、自分を本質的に鍛えることにはなりません。
今、会社には「ほんとに忙しいのか?段取りが悪いのか?」という貼り紙がしてあって、社員のみんなに嫌がられています(笑)。
言い訳は、言い訳をする対象がいてはじめて許される事。
例えば上司、会社、奥様、等でしょうか…。 

自分の人生からは逃げられない。
自分の人生には言い訳はできません。
言い訳のない自分に是非なって欲しいと思います。
2020年4月6日

かけた情は水に流せ。受けた恩は石に刻め

「かけた情は水に流せ。受けた恩は石に刻め」
これは私の座右の銘のひとつです。

以前下野新聞のコラムでも同じ内容について書かせていただいたのですが、改めてご紹介しようと思います。

たまたま読んだビジネス書の中で出会った言葉なのですが、出典を調べたら、長野県上田市にある前山寺の参道脇の石柱に刻まれている言葉なのだそうです。
この言葉と出会ったとき、それまで モヤモヤしていたものが、スーッとお腹に落ちる感覚を覚えたのを覚えています。

何か物をプレゼントされれば、誰でも「ありがとう」と感謝する。
でも「あの時あの人がかけてくれた何気ない励ましの言葉」や、「分からないことを聞けば、いつもサラッと教えてくれる先輩」「何かの集まりでいつも率先して幹事を引き受けてくれている友達」などに恩を感じているだろうか。
その感受性が持てない人、「当たり前じゃないんだけどなー」と周囲に思わせてしまう人、結構いるような気がします。
よく見渡せば、有り難いことは山ほど見つかるもので、周囲の人にたくさん恩を感じている、謙虚で温かみのある人はとても素敵だと思うのです。

一方「してあげたこと」にこだわってやたら恩着せがましい人よりも、やってあげた事などすっかり忘れてしまうような人の方が格好いい。
「かけた情は水に流せ。受けた恩は石に刻め」
この言葉は、人間関係を円滑にする考え方を指南していると思い、私も是非こうありたいと思っています。
人と人とが心を通わせることがこの世の中で一番難しく、そしてきっと一番価値があること。
家族も友人も会社も、人と人とで構成されているのですから。
2020年3月12日

休日の過ごし方。

この間お正月だと思ったら、あっという間に2月も中旬になりました。
時の過ぎるのは本当に早いものです。

お休みの日、皆さんは何をしているでしょうか。
朝早く起きて東京を往復する人もいれば、夕方まで部屋着のまま家にいる人もいるのかもしれません。
どんな過ごし方をしていても、同じように時間は流れていきます。

私は活動的な人なので、お休みの日に家にずっと居ることはありません。
予め予定を立てて隙間なく動くのが好きで、きっちり予定をたてた上で「この時間は犬とゆっくり森を散歩する」とか「午後は家でのんびり料理する」という具合に、ゆっくりすることすら予定に入っている感じです。
忙しくしていることが好きというか、せっかちというか、これは性分なので仕方ありません。

予定通りにいくとちょっとした達成感があり、その感じが好きだったりもします。
そして自分のペースで動きたい故、ひとりで行動することを好みます。

私は映画が好きなのですが、暇だから映画を観る、というより、日頃からチェックしている観たい映画を片っ端から潰していくような観方です。
こんな感じで全て私の行動には自分の「意思」があり、そして「予定」と「実績」があります。
わー、そんな窮屈なお休みは嫌だーと思われる方もいるでしょうが、自分で考えて→予定を立てて→結果を導く、その思考回路や行動パターンは、案外仕事にも通じるものがあるような気がします。

睡眠も休養も必要ですが、暇つぶしみたいな休日では少し勿体無いのかな。
今は社会全体が「休ませる」方向に向かっています。
だからといって言葉通りに「休んで」いたら、休んでない人と随分差がついてしまうかもしれませんね。
2020年2月13日

お寿司やさんのアルバイトさん。

先日、家族で回転寿司に立ち寄った時の話です。

そこは田舎の小さめの店舗で、タブレットで注文するスタイルではなく、真ん中の職人さんが注文を聞いて出してくれるお店でした。
そこで対応してくれたアルバイトの女性が素晴らしかった、というお話です。

その女性は、まだ幼さの残る感じでしたので、恐らく高校生のアルバイトだったのではないかと思います。
近くにいた男性の社員らしき人が何かと指導している感じがありましたので、まだアルバイトを始めて間もない感じなのかな、という感じ。
ハツラツとした心からの笑顔、大きくて明るくてハキハキした聞きやすい声、テキパキした動作。
見ていて惚れ惚れするような仕事ぶりでした。
しばらくすると彼女は別な業務のために厨房の中に移動したのですが、その際の社員の方との言葉のやりとりも、なんとも爽やかで気持ちがいいものでした(寿司を食べながらよーく観察していました)
どんなに手慣れた感じでも、そこにハートがない接客はすぐ伝わるもの。
実際そんな接客に触れることが多い中、この子はキラキラに輝いていました。

帰り際、男性社員の所に歩み寄り「さっきそこにいた女の子の接客、素晴らしいですね!あんなに気持ちのいい接客、なかなか見ないです。たくさん褒めてあげてください!」と伝えて店を出ました。
それを言われた男性社員もとても嬉しそうでした。
きっとあのアルバイトの女の子は「頑張ってれいれば見てくれてる人がいるんだな。これからももっと頑張ろう!」と満たされた気持ちになったに違いないと思い、通りがかりのおばさんも少しだけ役に立ったかなと思います。

そして、その一連のことを隣で見ていた中学生の息子が「お母さんが話した男の人もいい人だったよね、あの人が教えてるからアルバイトの人もよくなってるんじゃない?」と。
そう、そうだと思う。
そういうとこ息子が見てくれていて母はさらに嬉しい気持ちになりました。
2020年1月9日

グランメゾン東京の尾花。

ドラマをあまり見ない私ですが、息子がすすめるのでたまたま見た「グランメゾン東京」が気に入って毎週見ています。
別にキムタクのファンではないのですが、キムタク演じる尾花のキャラが、現代忘れかけられているように思う、「職業意識」みたいなものを感じさせてくれ、昭和生まれの仕事人には、毎週グッとくる人情ドラマや台詞があって、とても気に入っています。

下積み中の芹田が、色々努力しても報われず「俺だって一生懸命やってるんですよ!」と主張する場面がありました。
それに対して尾花は「それは当たり前だ」と一蹴。
そう!当たり前!
なぜって、「あなたは一流の料理人になりたくて下積みしてるんだから!」
その後、努力する意味を本当の意味で分かっていく芹田を見ていると、そうそう !よく分かった ね!とすごく嬉しくなります。

尾花の態度や台詞は、今じゃ「パワハラだ」とか、「一生懸命やってるのにやる気を削がれた」とか「うちの上司は部下のこと分かってくれない」とか、色々言われそうです。
でも「一流の料理人になりたい」という自分の目標がある人にとって、正しい事を厳しく教えてくれる先輩って「宝」のようにありがたい存在である筈。
仕事においては一切の甘さを認めず、でも、見るべき所はしっかり見ている、正しくて情もある。
上司として理想的な姿かなと思います。

昨今では、上司の立場でも、部下に遠慮したり評価を怖がったりして、なかなか彼のようには振る舞えない方が多いのではないでしょうか。
今は親も学校の先生も、スポーツのコーチも会社の上司も「厳しく指導する」ことが出来ない、不自由な世の中になっているように思います。
だからこそ「自分はいったいどうなりたいのか」客観視できる目線が必要で、将来大物になるか、小物で終わるか、自分次第であり、逆に怖い時代なのではないかと思います。
2019年12月18日

愚痴の本質。

私は「愚痴」が嫌いです。

本当に改善すべきだと思うことがあるなら、しかるべき人に「意見」として出すのが正しいと思うのですが、愚痴体質の人はそれをしないかわりに、話しやすい人にだけ話します。自分に起きている状況を、自分の主観たっぷりに話し、「うんうんそうだよねー。」と同調して欲しい。
自分はそれほど悪くない、ひどくない、と認めて欲しい。
相手がこんなネガティブな話を聞きたくないだろう、聞いても困惑させるだろうなんて考えもしない自分勝手な人とも言えると思います。

私は基本的に思ったことは口に出す性格なので、自分が影で愚痴を言わないばかりか、愚痴を聞くのも苦手です。
どうしても「じゃあこうすればいいんじゃない?」「そんなに嫌ならやめれば?」と厳しいアドバイスをしてしまいがちで、こういう人には後ろ向きな愚痴は集まりません(笑)。

でも私は思います。
友達のグループ、何かのチーム、そして会社。
みんなで仲良くやろう!何らかの目的に一緒に向かおう!という場で、全員で共有できない愚痴(陰口)ってはたして必要でしょうか?
チームの中に愚痴や文句を言う人がひとりいたとして。
それは、みんなで頑張ってふくらましている風船に、見えないところで穴を開けて空気を抜いている人。
そんな人をチームに入れておくのは百害あって一利なしです。
影では愚痴を言ってるのに、表だってはニコニコしている、となると、まったく信頼できません。
愚痴をいいながらそのメンバーでいるくらいなら、いっそその場を去ればいいのに、と思うのですがそれも難しいのでしょうか…。

私は先日うちのスタッフに、不満や疑問に思うことは、すべて私に「意見」としてあげて欲しいとお願いをしました。
聞く耳は持っているし、改善できることはすぐ取り組むからと。
いくらそれが「理想」だと言われても、私は裏表のない、お互いに信頼しあった仲間と仕事がしたいと心から思っています。

追記)本当に大変な人の愚痴は種類が違います。
聞いてもらったらまた頑張れる、という前向きな愚痴は、信頼できる人に吐き出した方が良いと思いますー。